長岡整体院 オステオパシー

社団法人認定、長岡整体院 オステオパシー

社団法人 武道医学会 & オステオパシー

日本におけるオステオパシーの歴史を調べますと、文献などに「オステオパシー」という言葉が大正時代、昭和初期に発行された手技療法関連の書物の中に盛んに出てきます。この頃からオステオパシーの一部が日本でも紹介されるようになったようです。
 1965年、日本人で唯一初めてアメリカ・オステオパシー協会(AOA)に招かれ、技術の交流を行ったのは、日本武道医学の創始者・故中山清先生でした。  当時、ニューヨークで開かれていた万国博覧会には、中山先生が日本代表として参加され、万博でアメリカのオステオパシー関係者が中山先生の技術に魅せられ、アッカーマン博士を筆頭に、AOA(米国オステオパシー医学会)の要求で数カ月にわたって日本の武道医学(武医術)とアメリカのオステオパシーとの間に歴史的な学術交流が行われました。

 当時の交流結果を、中山先生が以下のように述べられています。
 『米国フィラデルフィアのセラトンホテルで開催されたオステオパシーの学術会で交流を行った際、皆、日本伝統医術(日本武道医学)の無血手術に驚き、新聞記者会見まで行われたという。数カ月の交流では、Dr.アッカーマン(会長)のスクールに再々招かれ、日本伝統医術の説明や技術を行い、オステオパシーの技術を習得させられた……』

(この時、Drアッカーマンがかなり日本武道医学に興味を持ち学ぼうとして中山先生を熱心にアメリカに引き止めていたようですが、中山先生は日本に早く帰りたかったようです。    中山先生は日本に帰ってこられてから熱心にオステオパシーの技術の素晴らしさを語る事はなかったようです。日本武道医学の方が優れていると思われていたからでしょうか?)

 また、ドクターアッカーマンは、『我が米国医学は400年の歴史の中で成長発達したものであるが、貴方がたの国には数千年の歴史を持った医学がある。我々はその永い歴史の中で育った医学を習いたいのです。』と、私を感動させてくれた。日本古医学の今後の方向をもっと深く考えさせられたのである……。

 交流はオステオパシー医学関連の学校および数カ所で開催された大会で行われ、その記録が日本武道医学会および米国のオステオパシー医学会に保存されております。無論、日本人として米国のオステオパシー医学と正式な交流を行ったのは中山先生だけであります。
 当時、交流記念として、アメリカのオステオパシー学会よりオステオパシー技術に関する貴重な資料、そして日本武道医学会より日本伝統医学や武術の活法に関する実物資料交換が行われ、中山先生がICCTの日本代表に推薦されます。
 アメリカのオステオパシー界では、18世紀後半及び19世紀前半において日本の武道(特に柔術)に伝わる「活術」の研究がされていたという記録があり、日本柔術の活法がオステオパシー反射療法の発展に大きいな役割をなしているということは決して過言ではありません。
 この関係から、オステオパシーと日本武道医学に伝承されている整体術の技術思想に類似点が多くみられます。
 日本武道医学の創始者・中山清先生は、日本伝統の手技療法である武道医学(整骨、整体、活法など)を広く外国にまで紹介し、アメリカのオステオパシー医学会の他、香港や中国医学界とも正式な交流を行っております。


(当時、中山先生は日本では武道医学会以外にオステオパシーの技術を紹介する事はなかったようです。それは、アメリカのオステオパシーと同じように日本の伝統的医学を発展、整備させて行きたいとの思いがあったからで、もうすでに技術的、法的に体系が整っているオステオパシーを紹介したら、日本伝統医学を学ぶどころではなくなり、日本伝統医学は失墜してしまうのではないかと思われ、日本でのオステオパシーの紹介を先送りにしたのです。)